新春大型ドラマ『君に捧げるエンブレム』が昨日、1月3日(火)に放送されました。
このドラマは、サッカー選手として将来を嘱望されていた京谷和幸氏が事故に遭い車椅子での生活を余儀なくされてから、車椅子バスケットボールに出合い、日本代表として世界を目指すまでの半生を描いた作品でした。
幼少の頃より天才と言われ順風満帆な人生を送ってきた鷹匠和也(櫻井翔)。「この2本の脚さえあればオレはどこでだって生きていける」と思ってきた彼にとって脚が動かなくなる、一生立てないという絶望はどれほどのものだったのか……。ドラマを通して京谷和幸氏がその時に味わった苦悩が深く描かれていました。そして、そんな彼を支えた愛する人の存在に強さや愛情を強く感じる作品だったのではないでしょうか。
このドラマの主人公のモデルとなった京谷和幸氏は、北海道室蘭市出身。小学校2年からサッカーを始め、高校生の時にバルセロナ五輪代表候補に選ばれました。室蘭大谷高校を経て1990年古河電気工業株式会社に入社。1991年にはジェフユナイテッド市原とプロ契約を結びます。そして、迎えた1993年Jリーグ開幕。その年の1993年11月28日に悲劇が起こりました。当時、22歳。念願のJリーグ選手としてスタートを切ったばかり、さらに、2か月後に結婚式を控えており、事故の日は衣装合わせの予定が入っていました。その交通事故で脊髄を損傷し、車椅子生活を余儀なくされた京谷氏。そんな時、リハビリの一環として始めたのが車椅子バスケットボールでした。その躍動感・充実感に触れ、1994年に千葉ホークスに入り、車いすバスケ選手としてのスタートを切ります。車椅子での生活になってから7年後、2000年シドニーパラリンピックで京谷氏は再び、日本代表として日の丸を背負うことになります。続けて、2004年アテネパラリンピック、2008年北京パラリンピックにも日本代表選手として世界と戦いました。
競技以外でも、障がい者専門人材サービス事業にて、自身の経験や視点を生かし、企業や個人に向けた アドバイスを行う”障がい者リクルーティングアドバイザー”として活動されています。また、障がい者スポーツを多くの人たちに広めたいと「夢」「出会い」「感謝」をテーマに全国で講演会を行い、車いすバスケットボール教室なども積極的に行っている京谷和幸氏。
ドラマのラストで階段の前に立った和也は「(家族と)一緒に上りたい」と言います。
その言葉には、京谷氏のこれまでの思いが込められていたのではないでしょうか。
けして一人でここまで来たわけではない。周りの支えがあったから、強くなれた、立ち上がれた。
『君に捧げるエンブレム』を見て、挫折から立ち上がる強さや愛する人を思う気持ちに触れた人も多いと思います。車椅子バスケットボールやバスケットボール界に注目が集まる中、京谷氏からのメッセージを今度は、ご本人から受け取ってください。